2006年10月02日

タヌキの神さま

いろいろな人にいろいろ言われることが多い。
去年のことだが温泉宿に家族と投宿した時、宿の仲井さんが面白かった。
当初は業務的に我ら家族と接していたのだが、翌日は様子が違っていた。

「あのー、旦那さんは(世界の)坂本龍一さんとなにやらやっていたと、
 さっき同僚から聞いたんですが、そうなんですか??」
「はあ、まあ、そういうこともやってましたが・・」
「あらまあ!へエ〜、いえね、同僚の男性が凄い詳しくて、旦那さんにサイン
 をお願いしたいそうなんですよ。」
「はあ、まあ、そういうことでしたら・・・」
「すると旦那さんはもう引退されたので?」
「はあ、まあ、そんなところです。」

と、面倒くさいので引退したことにしてしまった。
だが実際、その頃のぼくは引退したも同様の隠居気分だったし、孫を連れ立っての温泉旅行に来たお爺ちゃんだったかもしれない。温泉の宿では誰しもダラシない気持ちで、浴衣もヨレヨレになりがちなのだから、見るからに引退したムードではあっただろう。しかも、そう言われることに別段腹が立つわけでもない。その奇妙な状況をスンナリと受け入れる自分を、誇らしいとさえ思った次第だ。

先日は大昔に通っていた幼稚園の祝賀会に出席した。60周年記念という、ほぼボクと同じ歳だ。来賓には同幼稚園の卒園者である細田前官房長官もいたり、司会には湯川れい子さんもいたりする。極め付けは幼稚園の顧問である三笠宮崇仁殿下と湯川さんのフォークダンスであった。殿下は戦後日本にフォークダンスを普及させた第一人者であり、「フォークダンスの神さま」である。
それはさておき、その会場で一人の男性から声をかけられた。

「細野さんは(あの天才の)大瀧詠一さんとなにか関係がおありと聞きまし
 たが、本当ですか?」
「ええ、まあ、一緒にバンドなんかをやってましたが。」
「ホ〜ッ、そうですかあ!」

というようなやりとりがあっただけだが、「まただ・・」と思う気持ちが刻まれたものだ。

一時期、かなり以前に続けて体験した不思議なことがある。それはぼくがまったく与り知らない場所に出現する、という興味深い事件である。曰く、

・ぼくは行きもしない下北沢の酒場で毎晩お酒を飲んでいる。お酒は一滴も
 飲めないのに。
・ぼくは行きもしない大阪の公衆電話で電話していた。
・ぼくは行きもしない上智大学のチャペルで、女学生に「ぼくはチャペルが
 好きなんだ・・」とナンパしていた。
・ぼくは行きもしない苗場のスキー場で、娘とホテルにチェックインしてい
 た。その頃は沖縄に旅をしていたのに。

などなど。

こういうことが続いた時、ひょっとすると自己の分身〜ドッペルゲンガーがウロついているのかと怪しんだものだ。実際、YMOのメンバーの名を騙ってウロつく輩も実在したということがある。

さらに奇怪なことがあった。
糸井重里が言っていたのだが、彼がYMOと何かの雑誌で対談していた際、
「この中で誰か脱腸だった人、いる?」という話になったらしい。
そこでなんとぼくが手を挙げたというのだ。
神明に誓ってもしようがないことだが、ぼくは脱腸にはなっていない。
しかるに、冗談でもそんなことに手を挙げる筋合いはないのだ。
だが後日、ぼくの母がさりげなく言った言葉に衝撃を受けた。
「なんで自分は脱腸だったなんて言い張るのよ?」
ある日ぼくが母のいる実家へ行った時に、自らそう宣言したというのだ。
この時ばかりは自分への信用がかなり低下し、狂人になったのかもしれないと不安に陥ったことがある。
この顛末は未だ謎であり、未解決のまま時効になるだろう。

YMOの影響には心身ともに疲労させられたものだ。面と向かって「あのYMOの人相が悪い人」と言われたこともあった。人気がピークのころには、すれ違いざまに「オエ〜ッ」と言う女もいた。この世には悪鬼のような人間がいるものだと観念し、やり過ごすことを覚えた。

また或る時は「伝説の男」、また或る時は「遊び人」、などとも言われた。
一日の中で「太った」だの「痩せた」だのと言われっ放しのこともあった。
このようにいろいろなことを言われて人生を送ると、「良い人」ではいられないこともある。心が乱れている時などはファンらしき人に怒鳴ったことさえあるが、申し訳ないことをしたものだ。

だが人は勝手にイメージを持つものだし、それはほとんど自分の本質にはほど遠い「先入観」であり、それに振り回されてきたことがバカらしいと思うようになった。その結果、或る人間がぼくに会いに来る場合、瞬間にその人が望む姿へと変貌する術を会得したのだ。それを傍らで観察していたコシ・ミハルが、「瞬間変貌」するぼくを「タヌキ」と思ったそうだ。

後日夢に「タヌキの神さま」が出てきて、ぼくがタヌキから人間に出世したと喜んでいるのを見た。因縁は巡って現在、その夢の詳細は、おそらく脱腸事件以来ぼくを変な人と思っている筈の、糸井重里が主催するほぼ日新聞に連載中である「夢日記」の初回に書いておいた。

ともかくその時以来、ぼくはその「お告げ」に免じて、体形もタヌキへと変貌してきたのである。 
posted by admin at 00:00 | quiet voice 2006