2002年06月05日

in memories of Moro Fukuzawa.


人が今、充分に生きるとは何か? 過日急逝した親友の死を通して考えたい・・
福澤もろ 1952年1月9日-2002年5月18日

 もう20余年来の親友だった。親友というのもしっくり来ない・・盟友、朋友、仲間、クラン、バンド・・ソウルメイトと言うべきか・・。1/9と7/9生まれ=星座では正反対だが対になっていて、夜と昼の関係であり、このような出会いは少ないが、気が合えば対の存在として良き友になるらしい。だが性格や趣味など全てが正反対なので、ただの遊び仲間という次元ではいられないわけだ。陰と陽、白と黒、僕は黒なのだろうが、マハ・カーラといえば大黒さまだ。こんな話しももろ君とよくしたものだった。だがこの世は白と黒の間に滲んだグレイの世界〜ドクター・ジョンの言うGris Gris の世界だ。浮き世と浮き世の狭間で心を交流する〜精神のハイ・ソサエティの場がもろ君とぼくの茶飲み話しだった。かれは誰しもが雲から落ちてきた天使だと思ったはずだ。ぼくは仏を守護する童子の像にもろ君の面影を発見していた。かれは日本人が古来から守ってきた信仰が育んだという点で、伝統的なシャーマンに属する。その表現はおおらかで享楽的で、「のどの神様」などという言い方をし、常に天地人の関係で世界を見通していた。しかも見えない世界までも見る・・陰陽眼と呼ばれる目の持ち主だった。彼は確実に「見る者」であったと思う。つまり言葉にできない人の内側にある本質を、言葉にして表現のできる唯一の人だった。

 そもそも80年代初頭に放映された謎の英国製TV番組「第三の選択」という衝撃が始まりだった。見過ごしていたそのビデオを持っている若者がいると紹介され、練馬のアパートに行ったのが最初の出会いだ。もろ君26才ぼくは31才だったと思う。その時に自分で撮った円盤のポラロイド写真を見せてもらった。アダムスキー型の円盤だった。それがもろ君の住む二階の部屋の窓近くに大きくなったりちいさくなったり・・円盤というものにこんなにリアリティを覚えたのはこれが最初で最後だ。しかしぼくは自分の目で確かめたくなった。インドで横尾忠則さんとUFOらしき妙な光体を見て帰国した後、もろ君を含め10人程で大山の見える厚木の原っぱに行き、観測を試みた。そしてとうとう円盤が出た! それは高圧線のすぐ上を、音もなくゆっくりと、大山とは反対の方向から、まるで見せに来たように僕たちの頭上を通り過ぎて、そこにいた全員が「ア!」と気付くと、その場で消えてしまったものだ。その目撃後、ぼくは頻繁に光体を見るようになった。しかしぼくは急激に忙しくなり、YMOの世界ツアーなどが始まった。疲れ果てて帰国後、もろ君に誘われて気の向くまま沖縄へ旅に出た。直感で選んだ島は竹富島。そこで見た天体ショウは人生を変える出来事だった。この出来事はとても神聖で、もろ君と共有した唯一最大の神秘体験だ。だからいままで詳細を公にしたことはないが、ざっと記すことにしよう。
 
 巨大な蛍なのか妖怪キジムナーなのか? しかしどれでもなかった。直径5〜6cmほどの、20Wの電球のような光体が林を抜けて飛んできたが、当初は蛍だと思っていた。ぼくは民宿の屋上から、夜空の星を見上げていて、そのあまりの凄さに圧倒されていた最中なので、蛍には格別気を留めなかったのだが、それが2度もフラッシュをした時に、はじめて蛍以外の生き物だと気付き、それに注目することにした。と同時に光体は目の先5mの空中に停止したまま時間が止まった。

 やがてその光がゆっくり動き始めた。一点から一点へ、まるでコンピュータのように正確に45度の線を描いて。2mほど斜め右上に移動したところでそれは消えた。だがそれと同じ時間をかけて、今度は左斜め上に現れたのだ。この時に階下の部屋からもろ君が上がってきたと思う。ハブが怖いので懐中電灯を持ってきてくれたのだ。この時間をかけたスロウなミニマル・ショウは、それが星の散らばる天に登り、星に紛れて見えなくなるまで続いた。

 気がつくとぼくは金縛りのように震えていたが、隣にもろ君が来ていて、何かぼくに声を掛けてくれた記憶がある。自分でも説明のつかない体験を一緒に共有してくれていたのだ。それがなければぼくの中の客観性は崩壊していただろう。この時の体験が僕達を大きく変えたのは当然だった。精神科医の加藤清先生の言う「Deep Ecological Encounter」とは、このような深い神秘体験も含まれているかもしれない。この場合の神秘とは単に、人間には「説明のできない」ことを示す。

 その後もろ君は音楽の幅が広がり「ハス・クリア」という名曲を歌う。もろ君には名曲が多いが、次の曲は最も有名だ。この歌が出来る時ぼくは良くもろ君と京都のお寺に篭っていた。何か特別なインスピレーションで言霊=歌詞と音霊=メロが降ってきたような、そういう奇跡的なことがもろ君を興奮させていた。「サークル・マインド〜宇宙の歌」という歌。某テレビ局の母と子供の為の歌番組に取り上げられ、今の日本の世相の中で、もろ君はきっと子供たちにこそ歌って欲しかったんだと思う。

 この歌はCDにもなっているので歌い継がれて行くだろうが、次の歌はこの世で最も不思議な存在だとぼくは思っている。「ジュン・クリナ」は沖縄の神秘的な体験をして帰った後に即興的にできたもので、それはぼくの魂にしみ込む歌だった。これほどの音楽が何故未だに知られていないのだろう? ぼくはそのことを思うとこの世の表層と深層をつなぐ力が欲しくなる。常に表層の出来事ばかりがこの世を被い、真実はその騒音にかき消されてしまう。深いところに流れる真実を表に出すことは、この世を司る世俗の力が必要なのだが、その力はぼくにももろ君にも与えられてはいなかった。ぼくがYMOなどで世に出たことは奇遇だ。それは他の人の持つ力のおかげだった。だから未だにもろ君の歌を世界に知らしめることを思いつつも、ぼくにはそれを成就できていない歯がゆさと焦りがある。名曲「ジュン・クリナ」も、ふと気付くとCD化されてはいないし、数人の友人が保管している古いカセットがあるのみだ。

 ミュージシャンであるぼくにとってこの歌は特別な音楽だ。何故か?普段音楽に浸っているミュージシャンには、この歌が音楽の形を越えた特別なもので、耳に聞こえるし心に響くが、本来は手が届かないひらめきの音なのだ、ということがわかる。音楽とはCDや演奏などで普段から手の届く、そして触れることさえ出来そうに思えるほど日常性を持っている一方で、こういう神界の領域にまで広がって行くことができるものなのだ。とくにこういうポップ・ミュージックでは希なことだと思う。この音霊、言霊の湧く、お筆先のような音楽もあるということを、ぼくはもろ君から教えてもらった。影響されたのだ。

 ぼくのソロには必ず歌で参加してくれた。亡くなる2日前に会ったとき、いよいよソロを作るお手伝いの時が来たと思い、構想を練ろうとした矢先に悲報が入り、後悔した。何故もっと早くできなかったのか。こういう時は誰しもがしまった、と思う。申し訳なさで押しつぶされそうになる。だが考えてみれば、自分のやるべき事が最も後回しになっていることに気付く。自分の為に思うべきことをやりたい時があったら、迷わずやることだ。自分が肉体のあるうちに、この世で表現できることをやって、さよならするのだ。そう思う先にあることは、そういうあせりや悔しさを含め、我々は精一杯生きている、ということに行き着く。生きることは大変なのだ。もろ君はその点でも精一杯やって来て、人々に無垢な心のありようを歌い、命を削って人々を助けてまわっていた。そのかわりに一杯愛され、歌を残した。もろ君に限らず、誰しも生きて死ぬ道はこのようなことなのだ。その上でどうしたら楽しく生きられるか、それを教えてくれたのは、もろ君だった。

 このように、もろ君が宇宙のサークルという永遠に帰って行った後も、CDなどでその声を聞くことはできる。しかし彼の凄まじいほどのスピリチュアルな即興は今となっては貴重なものだ。最近ずっと一緒にやっていた「Mongloid Meditation Unit」のライヴの、とてもラフな録音ならここに保存してある。それも含め、もろ君の歌をまとめて今年中にCD化したいと思っている。

 最後にもろ君からのメールの過去ログを読んでいて見つけた言葉がある。それは既に病に冒されていた1998年ころに書かれたものだ。

「長生きしてくださいね。そうしないと日本の音楽の世界がだめになっちゃうから・・・。僕なんかは寂しくなるから・・・だから生きるならば元気でいましょう。」
posted by admin at 00:05 | quiet voice ~2005