2006年07月10日

W杯って何と読む?

 先週の細野劇場の続きは次週に回すことにして、日曜にラジオでお話しをした話題のフォローをしておこうと思う。思いつくままのコラムなのであしからず。

 で、最近はW杯でもちきりだった。今もまさにフランスとイタリアの決勝が延長になだれ込んでいる真っ最中だ。あ、PK戦でイタリアが勝っちゃった!・・こうして我々のような「俄ファン」でも、夜中だってつい中継を見てしまうので、明日は眠い人も世の中には多いだずだ。日本対ブラジル戦の時も夜中だった。やれプレスが弱いとか、後ろにパスを戻すな・・などと何も知らないのに小うるさいことを言いいながら見ていた。もし競技場に行けば気分は高揚するだろうし、きっと立派なサポーターになれるのかもしれない。4年後は行こうか・・なんて思う自分はやっぱりただの俄ファンなのだ。

 さて、「W杯」を「だぶるはい」と読んでいたのは僕だけだろうか。そういえばTVなどでは「ワールドカップ」という言葉は飛び交うが、「だぶるはい」というのは聞いたことがない。黙読だけなら大勢いるはずだが、声に出して、しかもラジオでそう言ったのは僕だけらしい。だってそう読むのは決して不自然じゃないでしょ?「五輪」をオリンピックと読まず、「ごりん」と読む場合もあるし。「野球」だって本来は「ベースボール」と読むべきなんだろうが、「やきゅう」って言ってるじゃないか。中国ではどうなんだろう・・。ちなみに日本でニュースに使う「鳥インフルエンザ」がどうも冗長なせいか、「鳥インフル」なんて中途半端な略語を使うのが納得できない。これを中国では当初、「鶏疫」と書いていたのが優秀だったので、ぼくも書く時はそうしている。最近では「家禽感冒」なんてのも記憶がある。ついでに言えばこの「鶏疫」、世界で静かに蔓延しているのが不気味だ。

 世の中には読むだけの文字というもがあるな。声に出して読む必要がない文字。例えば駐車場などに書かれている「裸火厳禁」。日本語におけるこの「重箱読み」的なモノは手ごわいぞ。これはおそらく「はだかび」と読むんだろうが、いつも心の中では「らび」と読んでいる。後半の「厳禁」が音読みなので、「裸火」もつい音読みにしてしまうのだ。同じ駐車場では「月極」というのがよく話題になる。「げっきょく」じゃなく、「つきぎめ」と読む、らしい。でもそんな文字は声に出して読む機会など、いまだかつてやってこなかったし、これからもないと思う。皆、心の中で勝手に、そして曖昧に読んでいるわけだ。

 勝手に読んでいた漢字もある。「代替医療」はどうだろう。ぼくは「だいがえ」などと読んでいたが、「だいたい」だとは知らなかった。「顰蹙」。これはまったく読めない。「ひんしゅく」なのだ。「入水」は「じゅすい」と読むが、これは昔から知っていた。日本には入水事故が多いからかもしれない。「生蕎麦」をずっと「なまそば」と読んでいた人がいた。あ、「きそば」なんですよ。「老舗」は「ろうほ」じゃない。「しにせ」だ。あげればきりがないので、各自考えることにしよう。

 こんなに曖昧なのが日本語の世界だ。恥ずかしながら60歳にならんとするぼくも、この曖昧な言葉の海におぼれてしまう。いわんや少年少女に至っては・・。そう考えると、パソコンの日本語入力変換はいかに凄い発明か理解できる。ただここで考えてみるに、その曖昧さというものは良い面があることを忘れがちだ。心の持ち方にもそれは言えるかもしれない。なんでもはっきりさせる必要なんかないのだ。ああも言えるし、こうも言える、というのがこの世の真の姿なんだから。厳密さを極めて到達した量子物理学の結論が、世界は不確定で、ああも言えるしこうも言えるというのだ。
posted by admin at 06:09 | quiet voice 2006