2006年07月17日

この一週間・・

 さきほど午前1時、デイジーホリデー(Inter FM)の放送を聞いて、その内容の時差にがく然としたところだ。ぼくとコシミハルの会話に、W杯のことが出てくるのはいいとして、ジダンがかっこいい云々、の件はやはり時事ネタとして時差がありすぎる。というより、ラジオが一週間の前録りをすることが、今の時代の速度に時差をを生みがちだということだ。特にこの一週間は予測のつかない、いろいろなことが起きた。今回の録音はW杯決勝戦の前であり、ジダンが頭突きをすることなどもちろん思いもよらない。結局サッカーの話題は、それだけが独走したともいえる。センセーショナリズムは全ての福音を駆逐してしまうのだ。そういうわけで、放送中にジダンを「サッカーの神様みたい」と評したことも、色褪せた発言になってしまったのが残念である。生放送以外の場合は極力時事ネタは避けねばならくなりそうだ。

 そしてこの一週間はそれだけに留まらなかった。時事はさておき、四国を旅している間に知人の訃報を知り、衝撃が走った。帰京する日には盟友の入院を知らされ、それもびっくりだった。

 四国に行ったのは「お遍路さん」に関係する仕事だった。この仕事の件はゆくゆく詳細を報告することにして、遍路の歩く道を車で走ってみて思ったことは、「エ〜ッ?ここをず〜っと歩くの?!」というほど過酷な距離感である。「歩きお遍路」さんはそれでも年間15万人だという。しかも若者が増加しているのだ。ウーム、ぼくはちょこちょこっと歩けばいいや・・なんて思っていたのだが、人や自分の人生を思うと、このまま四国に残って歩かなきゃいけないんじゃなか?と考えてしまった。
 
 ぼくはなんとなく、60歳を過ぎたらお遍路さんの旅に行こうと思っていた。一年後に還暦を迎えるのでまだまだ、もうちょっとと油断していたが、仕事を通して早くもお呼びが掛かってしまい、お遍路さんを考える機会を得たと同時に、安易に捉えていたことを「遍照金剛」に見透かされた思いだ。

 最近の人々は病気も多く、長寿大国日本の先行き不安である。強くなっているのは耐性を獲得しつつあるバイ菌だけじゃないだろうか。こうした視点では、人生が生老病死との闘いに明け暮れるだけかとも思う。お坊ちゃんだった釈尊王子は、初めて巷間を歩き、東西南北の道に生老病死を目撃し、その絶望感から出家して瞑想に入った。そうして得た悟りはこの世はマーヤ〜幻想である、ということだ。観世音菩薩が深い瞑想で得た悟りも同じく、この世は無であるから苦もない、という般若心経に表現された世界観だ。お遍路さんという行は、その世界観を獲得するための、弘法大師が作り上げたひとつの準備システムかもしれない。そうか・・やはり行くべきだろうな、70歳過ぎたら・・、ボチボチと・・生きてれば・・ブツブツ・・。
posted by admin at 03:44 | quiet voice 2006